2007年
6月7日

展覧会・展示会を三か所回る。

(1) 都美術館の95周年記念日本水彩展。
(2) 浅草の第二回デジタルポンチ展。
(3) 江戸東京博物館の発掘された日本列島2007。

水彩展は現実の諸問題に目を向け社会の実相にせまる私好みの作品はないが、繊細で緻密な筆遣いのおだやかな雰囲気の作品が多い。入場券をいただいた出品者は静かな生命力を漂わせる女性像で今回展の記念賞を受賞した。

デジタルポンチは説明によると「多くはマッキントッシュを使った『ポンチ絵』」で、出品者には出版業界へ仕事のアピールという意味合いもあるようだが、この方法の可能性をこれから独自にどう開花させていくのだろうか。大いに関心がある。

「発掘された日本列島2007」は昨年各地で発掘された8000件の埋蔵文化財のなかから470点を展示したものだ。2001年に国立博物館で特別展示された縄文一万年の土器展で国宝「火焔土器」を見て驚愕した記憶があり、今回も群馬県で発掘された深鉢が展示されているのを知って出かけた。やはり形・文様の造形美には見とれてしまう。
普通、この種の展示場では土器に触ることは厳禁だが、ここでは縄文土器の破片にさわれるコーナーがあった。私もいくつか手にとり表面のザラザラした縄文の文様の感触を楽しんだ。これを作った縄文人はどんな人だったのだろう。

私の住居の近所でも埋蔵文化財の発掘が行われている。上層は江戸時代の武家屋敷の跡でその下の縄文時代の発掘が始まっている。土器の破片が見つかるとその場所に小さくこんもりと土をもりあげて、その上に土器をのせて写真を撮っている。
その中のひとつに渦巻きの蚊取り線香が載せてあった。もちろんこれは、発掘作業員用だが、ちょっとユーモラスな感じだ。



6月2日

横浜・桐蔭学園ソフォスホールで「昭和のこどもたち 石井美千子人形展」を見る。
昭和30年代のこどもたちの生活をしぐさ、服装の細部まで緻密に造形化したものだ。

 私もあの時、少年だったので、生活のなかに吹いていた時代の風を多少は知っている。
周辺は湿った路地裏に貧しさによる悲劇がむきだしになっていたが「昭和のこどもたち」を見ると生きる喜びに溢れており、当時の私の現実感とは若干のすき間があった。

その代表例がやや理想化された母親像だ。しかし、そのふくよかな姿をみているといいことばかりではなかった少年時代へのなつかしさがこみ上げてくる。たぶんそれは人形たちの優しさに包まれた郷愁感によるものだろう。


5月29日

27日・28日と漫画会議の総会で熱海に行く。
この会の代表委員の一人だった宮下森さんが昨年90歳で亡くなられ、新しく西山進さんが代表委員に就任された。西山さんは長崎の被爆者。原水爆被爆者団体協議会の福岡県の会長など平和運動にも力を注がれている。事務局長は引き続きオダシゲさん。  

午後は渋谷の「たばこと塩の博物館」に風俗画と肉筆浮世絵展に出かける。
たばこと塩にかかわる労働や生活を題材にした風俗画が中心で、人々の生活の具体像が着物の柄、しぐさひとつひとつととともに活写されており見ていて楽しい。多くの作品は「町絵師」のものなのだろう。作者は不明である。
英一蝶(はなぶさ・いっちょう)作「東海道中通信使馬上喫煙図」もあった。
英一蝶は名作「雨宿り」で日本漫画史にもその名が出てくるが、将軍綱吉の「生類憐みの令」に触れて三宅島に島流しにされたことでも知られる。

http://www.jti.co.jp/Culture/museum/



5月24日

外務省が外国漫画家に贈る「国際漫画賞」を設けたという。
麻生外務大臣は「漫画のノーベル賞にしたい」と語ったことが報道されたが、この賞が外務省の所管で6月22日に選考、7月2日に授賞式というあまりにも急なスケジュールで応募規定・選考基準も不透明。日本の外交姿勢を批判した漫画に賞を出すはずもなく、賞は10日間日本へ招待という規模からみても「漫画ノーベル賞」どころか賞の全体像がよく吟味されたものとはとても思えない「国際漫画賞」だ。



5月21日

しばらく、メモを書かなかったが、私事では歯医者の定期検査と区のがん検診を受けた。検診の結果はまだ分からないが、同業者にこの種のがん検診は受けたことがないという65歳過ぎの男性がいる。「異常が発見されると怖いから」がその理由だ。しかしこの種のことは早期発見のほうが「怖くない」はずだが。

「怖い」といえば 日本漫画の会展(7月30日から)のテーマが「日本危険がいっぱい」に決まり、その出品案内が届いた。
これは、不幸なことに時機を得たテーマだと思う。ここ数年で生活周辺の危険や不安は明らかに増大した。
耐震偽造、賞味期限偽装、競争社会、格差と貧困、非正規労働と雇用不安、社会保障縮小、改憲手続き法成立と戦争する国づくりをめざす動きなど本当にいっぱいある。そしてこれらの問題は地震や台風と異なりそのほとんどが政権政党の制度・法律の改悪により発生した「政治災害」である。その結果による世相の荒廃で自殺者3万人、銃殺人、近親者殺人など悲しいニュースが後を絶たない。
 しかし、漫画はニュースが多いからといって描きやすいわけではないので、ニュースを前に先ずは考え込むことになる。私の首は過労が重なるとまた痛み出すそうだ。前傾姿勢を続けるのはよくないと言われたので、ときどき首を立ててゆっくり腹式呼吸をしています。


5月1日

第78回中央メーデーに漫画会議の仲間と参加。会場には4万2千人。漫画会議合計6名。
集会の途中から雨が降り出したが、文化団体連絡会議(文団連)の隊列に加わり代々木公園から明治公園までデモ行進。
若い人々の参加が増えたようだ。若者を取りまく不安定雇用と劣悪な労働条件が背景にあり、若者を立ち上がらせ声をあげさせているようだ。
 新宿で参加者6名、酒場で乾杯。



4月27日

一斉地方選挙では私も応援する候補者の宣伝に微力ながら参加した。
その期間中のことである。ある日、居住地で知り合いの男性から選挙とは無関係の質問を受けた。
「オレは抽象画さっぱりわからないけど倉田さんはどう、分かる」この男性は都知事選のとき石原知事に対抗するために野党は統一して戦えと力説していた。日ごろいろいろな問題で持論を述べ本もよく読んでいる。団塊の世代だ。

「ええ、意見は持っています」と私も持ち合わせの見解を述べることになった。
「分かるというのは二つの意味があると思っています。ひとつは何が描いてあるか、りんごならりんごと形がはっきりと分かること。もうひとつはその絵が何をいいたいのか、そのメッセージが分かるかどうかということだと思います」選挙の話どころか絵の話になった。

 私の経験では「何が描いてあるのか物の形が分からない」ということがこの種の疑問の出発点になっていることが多い。しかし、何が描いてあるのかが分かったとしても、その絵が本当に分かったのか、となるとかなり難しい問題である。

印象派に指導的役割を果たしたエドゥアール・マネに「草上の昼食」と題した絵がある。全裸の女性と二人の男性が草上で食事をするあの有名な絵だ。何が描いてあるか物の形としては明解である。しかし、なぜ、全裸の女性が洋服をきちんと着た男性二人と草上での昼食なのか。普通ではありえない光景だ。マネが描こうとしたその意図を計ろうとすればこれは難解である。

一方、抽象画と呼ばれる絵は普通何が描いてあるのかよくわからない。しかしその色彩や形から、ここちよいもの、リズム、場合によっては不安、混沌など感じることがある。もしそれを感じ取れたらその絵を「分かった」と言えるのではないですか。とざっとこんな話をする。

「で、倉田さんは抽象画描けます?」「いや、描けません」これだけははっきりしている。「分かりやすさ」で苦労している漫画描きは抽象性をそぎ落として生きているようなものだ。と力説する。

抽象画とは違って選挙の選択は分かりやすいですよ。格差を拡げた政治への審判とその政治から生活を守る選択ですからね。と言って別れる。

投票日「もう行きましたか」と電話すると「倉田新に入れてこようか」と冗談を言って電話のむこうで笑っていた。応援した候補者は前回より票を伸ばして当選。



4月12日

4月10日の夜、急に左後頭部がずきずきと痛み出した。まあ一杯飲んで、 と思って日本酒を飲んで床に就いたが午前3時ごろ痛みのために目覚めてしまった。
 連れ合いに「これは深刻な脳疾患のあらわれ」とおどかされた。わたしも実際その種の例を知っているので日ごろ診てもらっている代々木病院に行く。

 内科外来は混んでいて、看護士から「医師がこの症状なら整形外科でもと言っております」と伝えられる。きちんと診てもらえれば何科でもよい、と答えると、ではまずレントゲンを撮ってくださいということになった。首筋の写真を2枚撮られる。

 医師の説明「えーと、これはですね。ほら、この首の骨の写真をみてください。骨と骨の間が重なっているところがあるでしょう。わかりますか、本来は隙間があるのです。ここみたいにね。でもあなたの場合は重なっているところがここと、ここにあります。痛みはこのせいです。腰痛のようなものです」「なにか脳の悪い病気ではないのですか」と聞くと「ちがいます」と明快な答えがかえってきた。「首をあまり動かさないように、安静にしていてください。湿布薬をだします」ということになった。重病ではないようだが、首を安静に、という忠告に従うのは難しすぎる。



4月10日

東京の板橋区立美術館へ「池袋モンパルナスの作家たち」展を見に行く。
快晴なので東武東上線の下赤塚駅から美術館まで25分を歩く。途中「不動の滝」という湧き水が流れる場所などあり散策にも楽しい。

 池袋周辺にアトリエつきのアパートがあちこちに建ち若い美術家たちが集まった。今から80年前のことである。詩人の小熊秀雄がフランスの芸術の中心地モンパルナスにたとえてその界隈を「池袋モンパルナス」と呼んだ。この話は何度も聞いたことがあった。
しかし、そこで制作された作品を見るのは初めてだ。

 戦争へ戦争へと進んでいく時代の閉塞感のなかで明日への探求を続けた美術家たち。ひび割れた大地に、赤ん坊をおんぶして立つやせた全裸の女性の絵。展から伝わるのは「池袋モンパルナス」の作家たちが時代との相克のなかで人間の証明を模索した姿だ。

関心のある方には必見の展覧会。入場無料、5月6日まで。

 ちなみに、手塚治虫、石森章太郎など漫画家が多数生活したことで漫画史に有名な「トキワ荘」もこの界隈の外れにあった。



4月5日

「世界はアメリカをどう見ているか」と題する漫画展示会が4月26からアメリカ・ニューヨーク市立大学で開かれる。主催はアメリカ電気・機械・無線統一労組(UE)でボランテアのイベントだそうである。
この展示会に全労連・国際局から出品要請があったので、米軍艦載機の夜間訓練の被害とBSE牛肉輸入問題を題材にした2作品を送った。見にはいけないが、どのような漫画が集まるのだろうか。



3月31日

昨年秋からじっと冬を越していた我が家のクワガタ・クワタくんもモソモソと動き出しています。越冬の条件づくりの材料も市販されているようですが、我が家では室内の小さな飼育ケージのなかに入れて5日に一度ほど水と蜂蜜を調合した布をつくりこれを交換しておりました。
これが今のクワタくんです。



3月28日

3月中旬、区の誕生月健診の結果が出た。ここ数年は血圧とアルコール摂取によるガンマ―GTPの数値が高いとの指摘を受けていた。血圧は薬を服用している。
今年も同じようなことを指摘されると思っていたところ「肺に異常な影」と意外な結果を告げられた。ただちにCT検査をうけるようにとの指示である。
 乳がんの手術をした連れ合いはこれを「肺がん」の可能性ありと理解し、入院などの心配をはじめた。私も一応の備えとして月間の連載4コマ漫画2ヶ月分を描きためておくことにした。新鮮さが至上の時事問題は避けてテーマを季節ものにしぼり、集中して描いた。
あと、このホームページに載せながら文章化が途切れている「講演記録」を完成させる予定だった。
CTの検査結果が出たのは3月22日である。「古い炎症の跡、現在進行中の病気ではない」ということであった。
しかし、4コマ漫画の案を考えながら柔軟で新鮮な感覚とそれを現す線描を失いつつある自分が見えてきた。これと向き合うのもかなりつらい。



3月14日

松岡農水大臣の「ナントカ還元水」や「水道の水飲む人、いない」発言をテレビで見た知り合いが「あれってそのまま漫画?」と言ってきた。

たしかに風刺漫画のひとつに事実をそのまま描く方法がある。松岡大臣は家賃も光熱水費も無料(税金から支払れている)の部屋を使いながら高額な光熱水費を「ナントカ還元水」を飲んだ出費と言い「水道水を飲む人いない」なんて発言しているのだから、これをそのまま絵にしても一作の風刺漫画だ。

「そのまんま東」氏のお名前をもじっていえば松岡大臣は「そのまんま漫画」か。


3月8日

上野・都美術館へアンデパンダン展を見に行く。
抽象的表現に心ひかれる作品があった。渡辺皓司氏や川上十郎氏の作品は何が描いてあるのか形態上は鮮明ではないが、現代の危機感と破壊、そして再生への希求のイメージのようである。

 赤旗日曜版3月11日号「ひと・インタビュー」に今期の芥川賞作家・青山七恵さんが載っていた。23歳11ヶ月で受賞だ。
作品「ひとり日和」は私の形式的な頭にある「物語・起承転結」という通俗概念を超え、若い女性の孤独的な日々をたんたんと描写した作品だが、その文章のやわらかな妙味が主人公の人物像を浮かび上がらせて魅力的だ。



3月5日

連れ合いが3週間前に骨折した。左足の小指とかかとの中間あたりで、全治1ヶ月。
縁者が企画してくれたバスツアーに参加しその途中で階段を踏み外したそうである。
 連れ合いは怪我だが、ここのところ知り合いの方々の間で病気の話が立て続いて起きている。

1月には高血糖で歩行中めまいに襲われて入院された人。2月には心筋梗塞で入院された人が二人、がんの手術を受けた先輩もおられた。なにかとお世話になった方々だ。早くよくなってくだい。

 先日、民主医療機関連合会の看護士さんの話を聞く機会があった。制度改悪でお年寄りが被害をうけているのだから怒ってもいいのにと思うほど「じっとガマンしているお年寄りが結構おられます」ということである。理解できる話だが、でも「声無き声」「怒りの一票」があります。



2月22日

昨日の続き。

上野の人体描写会では、黙々とモデルを見て鉛筆(最近はボールペンも使っている)を動かしている2時間だ。部屋に入り会費を納めるときに「お願いします」と一言しゃべる以外は知り合いもいないので会話は無い。しかし終わったあとは描く意欲が引き出され、新鮮な風が吹き込まれるようだ。

画家ジャコベッテイは食事時でもテーブルにあるナプキンに見たものを描いたという。描く行為は食事のごとく日常化され、同時に其の事により日常に埋没している対象の感触を掴んだのではないかと思う。それには及ばないがまず描くことを先行させたいと思っています。



2月21日

2週間このメモを書かなかったが、定期の作品を描く他、私自身の講演記録の文章化や雑誌社の求めに応じて略歴を整理する仕事、それに一年に一度の検診も受けた。

今日は上野・都美術館でクロッキー。公園の大寒桜が咲きはじめていた。

政局のことで驚いたのは中川幹事長が閣議の際、安倍総理が入室しても起立が遅れ、あるいは私語が多い閣僚がいる、と公言したことだ。国民から見放されつつある安倍政権の崩壊現象が内閣に波及し、自民党幹事長があわててこのような形で閣内引き締めをはかったのだろうが、どうも問題の核心を外れているようだ。閣内の襟を正すなら女性を「産む機械」と発言した不適切な大臣の罷免や、ただの事務所を使用しながら多額な事務所費を計上した二人の大臣の不明朗を正すことのほうが先決ではないか。



2月6日

書家の岩佐ねなしかずらさんから書作集「桃夭」(とうよう)が送られてきた
桃夭とは紀元前・中国で編まれた「詩経」に出てくる言葉で乙女の美しさを称え「桃は若いよ」という意味があるらしい。
 ねなしかずらさんの書は私が知る楷書や行書とは違い「木簡」というまだ紙の無い時代、中国で竹や木に書かれた書体だという。書作集の書は私には鳥が空を飛ぶイメージに見える。ねなしかずらさんは「あなたの書は線も墨の使い方も絵の世界」と師に言われたと本のなかで話しておられるが、たしかに絵のようだ。
 この本には「ねなしかずらの仲間たち」というコーナーがあり、何人かの方々がメッセージを寄せている。私も拙文で末席を汚しています。
(咲夢楽出版企画・ ?048−758-0311 発行、1800円)


2月3日

昨日、部屋の掃除をする。私は老後の生活は「簡素」をこころがけたいと思っているが「ガラクタ」が多い事に改めて気がつく。他人にはたんなる「ゴミ」にすぎないであろう物を「必要かも」という思いでしまいこんでいる。机まわりもしかり。せめて50%減にしたい。本日は午前10時10分開始の映画「それでもぼくはやっていない」を新宿歌舞伎町の映画館へ見に行く。途中、コンビニで例によってアンパンとウーロン茶を購入する。

赤旗日曜版でこの映画の周防監督のインタビューが大きく取り上げられているのを読んだ。他の新聞でもほぼ絶賛といっていい記事が載っていたので観る予定に入れていた。観ての感想はとても「おもしろい」。映画も漫画も先ずは見た人が「おもしろい」と膝を打ってくれることが肝心だと思うが、この映画はそのひとつ。サスペンス風に次はどうなるかという展開の妙味もあるが、国家権力の一部である刑事裁判の実態や弁護士の奮闘をじっくりと見せてくれる。以前読んだ本にその国の人権度は刑務所の下級役人の態度に表れるというくだりがあったが、この映画では留置場での警察官の言動を通じそれを垣間見ることができる。ちょっとビックリしたのは観客の多くが20代と見受けられる若者だったことだ。

今月は東京都美術館で開かれている「オルセー美術館展」もぜひ見る予定です。


1月31日

日本アンデパンダン展から出品案内の文書が届いた。そのなかにフランスの画家・アンリ・ルソー(1844〜1910)の絵を載せたリーフレットがあった。ルソーが1906年に当地の第22回アンデパンダン展への出品を呼びかけるために描いた自由の女神の絵だ。  
知られているようにルソーは49歳までパリの市税関に勤めていた画家だが、濃密な描写・独特の世界で美術史の一画に素朴派として名を刻んでいる。
 ルソーが64歳のとき27歳のピカソが自身のアトリエでルソーをたたえる会を開いたという。偉大なルソーをもちだし自分をかたるのはおこがましいが、昨日、私も64歳になった。ルソーの絵を見て64歳にかかわるそのエピソードを思い出したわけである。

ルソーはその2年後、66歳で亡くなっている。


1月24日

ひさしぶりに東京都美術館の京美会の人体クロッキーに参加。
ここ一年ほど休場したが、今年からまた通わせていただきます。
 以前は先輩と一緒だったが、先輩が病で参加できず、およそ30名の参加者にも知り合いはおらずモデルを見つめ黙々と鉛筆を動かした二時間だった。しかし描くことに集中する気分のよい時間だ。

 帰りに上野駅周辺を散歩する。先日亡くなった歌手・井沢八郎が歌った「ああ、上野駅」の歌碑の前には花が手向けられ、井沢八郎さんと同年輩(享年69歳)と思われる数人が合掌していた。



1月20日

新宿・歌舞伎町の映画館に朝一番で「武士の一分」を見に行く。入場料はシニアで千円。朝一番は10時40分開始。観客の9割が中高年だった。

この映画はキムタクもさることながら俳優・笹野高史の存在に支えられているように思うが、むしろそのことを考慮しての映画全体の演出なのであろう。描かれているのは封建時代の下級武士の苦悩、愛と真実の物語だが、浮き彫りになるのは今、現在の人間一人一人の「一分」とそれを軽視し翻弄することで一脈通ずる現代の支配構造でもあろう。



1月19日

我が家にいただいた年賀状のうち6枚「お年玉切手シート」が当たりました。
17日に連れ合いが近くの郵便局に引き換えに行ったのですが、途中のポストに自分の封書を投函するとき、うっかりして『当りの年賀はがき』まで入れてしまったのです。

そのことを局の人に話したところわざわざ自転車でポストまで行き、集配係宛に張り紙をしてくれたそうです。規則で一度投函した郵便物は集配係でもその場では取り出せず、一旦、区の本局まで運んだ後での作業となるそうです。

おかげさまで翌日、渋谷局の人がその年賀状6枚を封書に入れて、通信事務扱いの速達で我が家に届けてくれました。


1月16日

4こま作品を発表している通信社から登場人物の女性がもっぱら家事を担当している情景描写への意見があった。ジエンダー(社会的・文化的に形成された性差別)問題である。

 私自身は家では炊事、洗濯係で行きつけスーパーの各品物の底値もおおよそ分かっており、折込広告を見て買い物に行き、今年はすでに七草粥や小豆粥もつくった。

 漫画に登場する奥さんのその種の心情は実は私自身のものなのである。それをそのまま描けばよいのだが、男が家事炊事をしている4こまはどんなものか、と思いわざわざ奥さんに置き換えていた。そのことをある労組の役員に話したところ最近はテレビCMでも洗剤の宣伝など男を使用しているのは世情の反映だ、と教えてくれた。私の認識が遅れていたようでいろいろと啓発されました。




1月14日

横浜・鶴見の曹洞宗大本山総持寺見学に行く。

 総持寺はもともとは1321年(鎌倉時代)に現在の石川県輪島市に創られた。1898年(明治31年)焼失。
現在地に移転。石川県にも祖院が再興されている。

 宝物殿の重要文化財「前田利家夫人像」を見る。
利家の没後、出家し芳春院となった人物像だが法衣の白色はあまり色あせておらず布の皺の描法が観察できた。


1月13日

私が住んでいる東京・渋谷区で凄惨な事件が2件続けて起きた。
歯科医家族の長女(20)が次兄(21)に殺害・切断されたことが報道された翌日には昨年末の遺体切断遺棄事件で32歳の妻が夫(30)の殺人容疑で逮捕された。

2件の事件は渋谷区という地域性に関係して起きたわけではないが、本日は漫画会議の新年の会合が渋谷勤労福祉会館であり議題の合間に事件はこの近くで起きたが「切断する」行為が多発する背景はなにかなどが話題になったり、会員の高齢化や病気そして葬儀のありかたなどの発言が相次いだ。「しめった話より、若い会員を迎え入れることを考えよう」や「今年こそ平和な年に」と意見も出るにぎやかな会合でした。



1月9日

東武鉄道・東武バス労働組合の通信員総会に招かれおよそ120名の組合・通信員のみなさんの前で「私の漫画作法」と題した話しをした。
通信員の皆さんの参考になる話がどれだけできたのかという思いはあるが、とにかく東武の労働者のパワーに圧倒されました。
この組合の教育宣伝の本部役員は30代の若い人々が中心でそのへんにも組合の力の背景があるようで私には新鮮な感じでした。



1月5日

住まいの近く、新宿・歌舞伎町を散歩するとかなり明るくなったことに気がつく。
しかし「夜の街 健全になり 衰退し」の川柳になっては困るだろう。実際、この地の関係者が『健全化し繁盛しないと意味がない』と述べている記事を読んだことがある。
まったくそうだと思う。

 これは私の仕事にも通ずる。「倉田さん まじめだけどつまらないでは敬遠だよ」と言われたことがある。私は憲法の平和条項は日本の宝だと思っている一人なので、この考えを楽しく面白く表現できればいいのだけれど・・・。


1月4日

我が家のクワガタのクワタ君は里子に出すはずでしたが、冬季のため延期になりました。
今はじっと静かに暮らしています。数日置きに水分などの点検をしています。腐葉土の寝床をどかすと生意気にも飼い主にクワを広げて威嚇します。

あと、室内に金魚が4匹、メダカが15匹います。みんな元気で新年を迎えました。


1月3日

今年もよろしくお願いいたします。
第28回読売国際漫画大賞の大賞受賞作は面白い。
国旗がずらりと掲揚されている絵だが、星条旗がひとつ。あとはカメレオン形の国旗でそれがすべて星条旗になっている。つまりアメリカへの追随というわけである。

 これは国際情勢への的確な風刺だが、現実にはアメリカは国際社会でかなり孤立しつつあるようだ。中南米での反米政権の誕生はその具体例である。アメリカ流の市場原理主義の経済政策は国民を幸福にせず、逆に矛盾を深めたことが反米の大きな要因のようだ。
ところが日本は「星条旗のなかの日の丸」の度をますます深めつつある。