2005年

5月1日
 漫画会議から代々木公園の中央メーデーに参加。新宿まで行進。

4月26日

 日本共産党の文化後援会全国交流会(24日)。日本青年館での日本共産党の演説会(25日)に参加する。

 今、9条に狙いを定めた「憲法改悪」の動きがかつてなく大きくなっており、私も自分のできること(漫画)での「改憲反対」の行動も考えている。「平和の9チャン」という小さな紙芝居のアイデアがあり素案を作っている。


4月21日

 東京練馬美術館に「田島征三、谷川晃一、宮迫千鶴」の3人展を見に行く。田島征三氏の絵本の原画は一度見たいと思っていた。今回「ふるやのもり」など一連の作品を見て、その土俗性のある雄渾な生命力にひきつけられた。谷川晃一氏の「絵は誰でも描ける」との著書を読み初心者を絵画に誘う熱い心を感じたことがあった。氏の壁画をおもわせる濃密な幻想画も魅力的である。


4月17日

東京国立近代美術館にゴッホ展「孤高の画家の原風景」を見に行きました。感想をエッセイに載せました。

http://www.momat.go.jp/Honkan/Gogh/#van-gogh

4月10日

ヒトコマ漫画に描く鳩は平和のシンボルだが、「鳩害」という言葉を聞く事が多くなった。

鳩が増えすぎてフン、鳴き声、ダニ・病気伝染などの被害が深刻化しているという。

公園などでは対策を講じていると聞き、上野に出かけたついでに動物園前の公園をあらためて観察する。ここは鳩が群れをなし露天商は袋詰めの餌を売っていたところだ。餌を手にした子供に鳩がむらがり、その姿をカメラにおさめる親たちの姿が多く見られた。

花見客で賑わう公園の樹木に目をやると『餌やり禁止』の横断幕が架かっている。

「エサをあげないことがハトへの愛情です」という言葉もあった。だが野生動物の問題はどれも人間社会の側がその原因を作り出したことは明らかである。鳩の場合も「ぽ、ぽ、ぽ、ハトぽっぽ、豆がほしいかそらやるぞ、みんなで仲よく食べに来い」と歌にまで歌ってエサをあげてきたのだから「エサをあげないのが愛情」と今になって言いだすのはやや身勝手、という感じである。書くならば「鳩と人との共生のためエサをあげないでください」と書いてほしかった。



4月8日

 東京・中野のゼロホールへ記録映画「時代(とき)を撃て・多喜二」を見に行く。

 最近、特定されたという多喜二滞在の旅館とその関係者の証言など新しい材料も取り入れながら多喜二の人物像や社会性、文学の魅力などを過去の映像や証言、作品朗読で構成したドキュメントである。

 作品の終わり近く小樽で実際に多喜二とかかわりのあった女性が多喜二をあんなふうに殺した警察は罪にならないのですか、と話していた。

 たしかに戦後のレットパージを含め明らかな権力犯罪はその罪を追及されないまま闇で生き続けているようである。今、ふたたび9条改悪で『戦争する国』を目指し有事を名目に国民の自由に統制の網をかぶせようとする動きが大きくなりつつあることを思えば。この記録映画の題名「時代を撃て」の時代とは現代のことでもあろう。


4月7日
  新宿中央公園で撮った写真2枚です。

長野・高遠より移植された コヒガンサクラ


大田道灌と山吹の花をさしだす村娘の像


4月6日

郵便局へ原稿を投函したついでに新宿中央公園まで歩く。桜は満開の一歩手前。ただしコヒガンサクラという銘柄のうすべに色の花は散りはじめていた。この桜は長野の高遠から移植したものだという。ハクモクレンの白い大きな花びらも落ちて散策の道を飾っていた。

 この公園には彫像が5つほどある。江戸城を築城した大田道灌が「お貸しする蓑もない」という意で村娘にやまぶきの花をさし出されたという逸話も彫像になっている。私が着古した紺のジャンバーと黒いジーンズで歩いていたためだろうその彫像のそばでホームレスが「もう階段までならんでいるよ」と声をかけてくれた。近くで支援団体の炊き出しがあるようで大勢のホームレスが静かに座っている。その列が階段まで及んでいる、という意味であることはすぐに分かった。親切を無視するようで悪かったがそのまま通り過ぎた。



4月4日

 寒い日が続いている。近所の桜のつぼみも開いているのは1割ほど。私は運動と名のつくものはやっていないので、できるだけ歩くようにしている。可能なかぎり一日30分から1時間を目安にしている。

 歩くコースは決まっているのだが、ときどきコースを変える。何度も通ったところもあらためてよく観察すると見落とした部分もある。 神社の境内の一画に『怒りもここに納めてください』と張り紙があった。しかし他の神社のダルマなどは「ダイオキシンの関係でお受けできない」と但し書きがあった。



3月31日

私が所属している漫画会議の機関紙「どん」が届いた。
 会員の近況が載っているので楽しい。
 この「どん」という題名を決めた会合のことは今でも鮮やかに憶えている。もう31年も前のことだ。その日の会合は千葉県の銚子で開かれた。台風が接近し銚子の海は大荒れで私たちが泊まった民宿も激しい風雨に見舞われた。故人になったまつやまふみお、小野沢亘、八木義之介、高橋宏一、武士一刀のみなさんも参加していた。話し合いは外の風雨など関係ないとばかりに盛り上がった。蒸し暑いなかで丸首シャツ一枚での討論である。
 いくつかの案が出たが結局「どん」に決まったのは「どんといこう」「よーいどん」など威勢のよい響きがあるばかりではなく「どん欲」や「どんくさい」などのイメージも重なりかえって座り具合がよいという一種の『叡智』の反映だったようである。

「どん」は年一回の発行。随時会員向けには「号外」が出ている。



3月30日

 東条英機の作品を描くために資料をいくつか読んだ。
 戦意高揚のため戦争中は英語が『敵性語』で使用禁止になったことは有名で、野球用語の「セーフ」が「よし」に変更されたことなどは知られている。実際には勝ちチームの9回裏の攻撃もやらせろ、という話まであったという。『撃ちして止まん』の精神からいって攻撃の機会があれば攻撃するのが当然、というのがその理由だった。がこれは実現しなかった。
 音楽でも「米英色一掃」のため『峠の我が家』や「アロハオエ」が禁止された。
民間のコマーシャルにもお国にご奉公するためには「病気などしている暇はない」というビタミン剤の広告もあったという。(平凡社、ドキュメント昭和史。太平洋戦争)
 学校では『ご真影』(天皇・皇后の写真)を拝むことが強制されたが、今石原都知事がすすめている「君が代斉唱強要」で歌声の音量まで指導するやり方はこれに似ている。


3月29日

 私は23歳から59歳までの36年間、埼玉県で生活した。
そこでいろいろとお世話になった活動家・児嶋仲子さんが26日に急逝された。今日は当地でお別れ会があり参加した。
 児嶋さんは86歳だったが、関係者によると亡くなる3時間前まで医療生協などの活動に参加していた。その後「胸が苦しい」というので病院に行き診察と点滴を受けた。一段落してトイレにたち、そこで倒れ意識が回復しないまま逝ったという。「解離性大動脈りゅう」という病名だった。
 児嶋さんは絵も描き、会場には横向き女性像の完成前の油絵があった。若々しい筆遣いと色彩。いつまでも理想を求めた児嶋さんの青春性の証のようであった。


3月23日

上野の都美術館でクロッキー。この美術館で開催されているミュシャ展は一番人気で切符売り場には人が並んでいる。公園内の国立科学博物館で「恐竜博」が始まっている。「スー」というテイラノザウルスの全身骨格が目玉だという。私はこの種の展示は好きなので見に来たい。
 公園の桜のつぼみは冷たい雨にうたれているが花見客用のごみ集積場があちこちにつくられて準備は万端のようである。ここで私も知り合いと夜桜見物を2,3度やったことがある。ものすごい人出とあちこちでの歌と踊りが雰囲気を盛り上げ、その一員に埋没しお酒を飲んでいると花見に参加している気分も高揚する。しばらく花見もしていないので今年は花見酒を楽しんでみたい。



3月21日

 図書館に「島崎蓊助自伝」(しまざきおおすけ)(2002年刊・平凡社)があった。
 蓊助は小説『夜明け前』の作者・島崎藤村の三男で戦前プロレタリア美術運動にもかかわり漫画も描いた人である。1992年83歳で死去。
漫画家故小野沢亘(1995年86歳で死去)さんとはひとつ違いで小野沢さんとも若干の出会いがあったようで、私は小野沢さんから蓊助の話を聞いていた。しかし人物像などはこの本を読むまでは漠然としたものだった。作品図版もくつか載っており理解の手助けになった。

  自伝には当時活躍した漫画家が登場する。柳瀬正夢は「地味で飄逸なトボケの名人でもあったが、仕事に対しては厳しく、どんな些末なカット一つにしても完成度の高い仕事を残した」「ものを作る人間の骨の髄まで徹した良質の職人気質」が住んでいた、とある。
 蓊助の友人の漫画家・稲垣小五郎(1906〜1980)も出てくる。稲垣小五郎のことも小野沢さんや故森熊猛さんからも話しに聞いていた。戦前は柳瀬と並んで活躍した漫画家だが戦後は表には出ず埼玉県川口市でひとり74歳でひっそりと死んだことは森熊猛著「マンガ100年・見て聞いて」のなかにも出てくる。蓊助と小五郎は仲がよかったようで二人で柳瀬の家に遊びにいき技法を学んだこと。小五郎の3畳間だけの生活法なども記されている。
 蓊助が盛岡署に逮捕されとき同室のすりがシラミをメンソレタームの小さな空缶に飼っておりそれをつまみ出し競争をさせたていたという。「こんな奴でも可愛いものです」とそのすりが言ったという体験談も出てきた。



3月17日

 「アイマスク」という漫画誌から頼まれている「戦後60年」を主題にした漫画4作の下絵を描いている。「東条大将びっくり」と題して太平洋戦争時の東条英機首相・A級戦犯を60年ぶりに目覚めたことにして当時と現在を風刺的に対比するのが狙いである。60年前は『鬼畜米英』といってアメリカと戦争していた。今は「日米同盟」は「国益」と対米従属。これをあまり硬くなく漫画のよさを出して描いてみたいと思っている。



3月15日

 新宿駅の西口を歩いていると「ビッグイシュー」(ホームレス支援の雑誌)を売っている人に見覚えがあり「あれ、誰だっけ」と思い立ち止まった。自宅で見た3月13日付の「しんぶん赤旗」の14面に、写真入りで載った人であることを思い出し駆け寄った。
 「だんなさん赤旗に載っていた方ですよね」「はい載りました」「ぼくあれ読みました」といって一冊雑誌を買った。宮川さんという74歳の男性で新聞には写真も載っていたので会ったことのある人と思ってしまったのだ。宮川さんは元内装木工職人だったが仕事が減り家庭不和もあってホームレスになったという。

 ホームレス問題で共産党の国会議員団が昨年暮れに厚労省に緊急に3点の申し入れをしたことが記事には書いてあった。要約すると (1)就業事業の継続実施で仕事確保 (2)生活保護行政の拡充 (3)健康・医療対策の実施である。行政の支援は待ったなしで実施してほしい。



3月10日

 今日は東京大空襲から60年。東京両国の江戸博物館で開かれている東京大空襲特別展を見に行く予定でいたが国会中継を見ていて出遅れたので延期。風邪を引くまえに買っておき途中まで読んで中断していた岩波新書「働きながら書くひとの・文章教室」(小関智弘)と「景気とは何だろうか」(山家悠紀夫)を読む。

 小関さんの本にも出てくるが「東京南部文学運動研究会」の浜賀知彦さんにはいつも研究誌を送っていただいているうえに、私は20代の一時期漫画家の故八木義之介さんたちと東京南部で「芸術集団『ど』」というグループに参加していた。小関さんの本を読みながら当時(1963年から67年頃)のことを思い出した。

 『景気とは何だろうか』の著者、山家氏の提言はいろいろな場所で目にしていたので興味があり一気に読み、改めて勉強になった。



3月9日

 先週は体調を崩し、熱は無いが熱っぽく身体が重かった。月曜日あたりから回復傾向にあり、今日は気分爽快なので、連合通信社の連載漫画を描く。午後は案内状をもらった二つの展覧会を銀座に見に行く。ひとつは漫画家20人が河童を描く「酔墨画」展。色紙に『酔』気分で河童を描くということのようだが、練達の筆使いで面白かった。
 もうひとつは油彩画で大江健三郎氏の著書「『新しい人』の方へ」から題名をとったという21名の画家による同名の展覧会。案内状に「互いに理解し合いこの地球で共存していく道を」 「他者の痛みを感じとり、力ずくでない話し合いで解決していく、勇気や想像力が必要」と刷り込まれていた。
 作品を見ての感想は趣旨と作品理解の結びつきを鑑賞者に投げ与えられたような感じがした。つまり展の趣旨は文言から読み取れるわけだが、個々の作品は多義性と抽象性が多く、いわば見る人の感受性(別の表現をすれば読み取り能力)にまかされたようで多少の戸惑いを感じた。

 少し時間があったので上野に寄り3月1日に見たアンデパンダン展をもう一度見ることにした。
前回見たときの私の印象は「仕事場メモ」に書いたが、見落とした部分もあるだろうし、再度みることによって再発見の楽しみもある。
 全体の印象は3月1日の『メモ』と同じであるばかりか、その感をさらに強くした。
現代を捉えようとする画家の眼は複合したイメージで時代を表現しょうとしている傾向が大きくなったのだと思う。同時にそれは作者と鑑賞者の共感をさらにどう築けるかの課題を伴った創造でもあると思った。


3月1日

 東京・上野の都美術館へ「アンデパンダン展」(3月12日まで)を見に行きました。
 一昔前まではこの展覧会の出品作は「何が描いてあるか」が分かり易い作品が多かった印象があります。しかし最近は時代の閉塞感、危機感の全体や人々が生きる不安感あるいは充実感を捉えようとするためだと思いますが、抽象的な作品で時代の複合的なイメージを描いた作品が増えたように感じました。たしかに現代を描こうとすると人や物の個別性・具体性もさることながらその全体像をイメージする描法が作者にとってより実感的というこがあるのだと思います。戦争と平和の形。時代の風。時代の色。見える風景の裏。苦悩の影。など展のテーマ「生きる証・わたしの表現」を感じさせてくれました。

 ちなみに言えば漫画は「端的」であること、分かり易いことが身上なので、抽象表現はなじまないわけですが、創造の試みは必要だと思っています。


2月28日

 東京・銀座の長谷川画廊へ頌春展を見に行きました。春をよろこぶ版画の小品展で私も昨年までは出品していましたが版画を彫る技術に乏しく今年は遠慮しました。知り合いの高橋伸樹さんのカブの版画は地下で生きる生き物のたくましさを感じさせる作品で不思議な魅力がありました。



2月17日

 東京の錦糸町に『似顔絵集団40周年記念展』を見にいきました。
 知り合いも出品しているので、案内の同じハガキを4人の方からいただきました。
31名、総計150枚の似顔絵ということで見ごたえもあり楽しく拝見しました。

 帰りに新宿のラーメン屋によると知り合いの漫画家がコップ酒を飲んでおり、聞くと私と同じく似顔絵展を見ての帰りだとの事でした。


2月16日

 GDPの3期連続マイナスを伝えるニュースがテレビから流れた。
 朝日新聞の夕刊の一面には「停滞基調くっきり」と書いてあったが。小泉政治が実施する負担増で家計から自由に使えるお金はさらに減るので個人消費は一段と冷え込み日本経済は『停滞』どころか『転落』することもある。

 ニュースで竹中大臣が「これから上向きになる」と言っているのを見て「えっ」と驚いてしまった。
 先日の国会答弁で竹中さんは「労働分配率はまだまだ高い。(企業と労働者への分配)の差ははまだ広がる」と言っていた。つまり労働者の収入はもっと低くなる可能性ありと答えていたのです。これではGDPの約6割をしめる個人消費が伸びる見通しはない。
 政府の関係者はこの事態を見て景気は「踊り場で足踏み」「やがて上向き」と述べているので、即席漫画にしました。



2月10日

 机のまわりを整理していたらお世話になった漫画家小野沢亘さん(1995年86歳で死去)のイラストが出てきました。思い出の一端をエッセイに書きました。



2月9日

 ここ数日で4コマ漫画を3本と5コマ一本を描いた。5コマはタブロイド版の下に横組で掲載され、全農協労連紙に連載をしている。
 5コマのよいところは「遊びコマ」が使えるところだ。つぼにはまるとよい雰囲気になるが、つぼを外すと冗長になってしまう。それにこの種の漫画はアイデアを徹底的に考え抜く粘りが必要と友人の4コマの名手に教えられたが、いざ描くときには考えた苦労が表にでないようにサラリと表現することが肝心のようである。
 アイデアの素になりそうなヒントを新聞から拾いメモしておくのだが、メモするのを忘れて「あれ、なんだったかな」と思い出すのに苦労する事がある。それに大きさの異なるメモ帳が何冊もあり、カバンや上着、卓上にそれぞれあるので、どれに書いたか忘れてしまうこともある。一冊に絞ればよいのだが電車のなかで思いついたときは小型のものが便利なのでつい数を増やしてしまった。



2月5日

 最近見たテレビで印象に残ったものが2つあります。

 ひとつは売春防止法(1956年)成立までの経過と市川房江さんの活躍。もうひとつは最近の東京の資源ごみ(古紙)持ち去り問題です。

 売春防止法はその法制化をめざし活動をしていた市川さんの前に立ちふさがった問題点を紹介していました。それは、(1)当事者女性たちの反対。(2)その女性の雇用主業者の反対。そして業者から(3)献金を受けている国会議員の存在です。当事者女性の声は端的にいえば「働く場を奪うな」というものです。業者の言い分は自分たちは不幸せな女性に仕事を与え社会に貢献していると主張。そしてその業者が国会議員に献金をし、売春防止法の阻止に動いていた事実です。この構図は現代も存在し、とりわけ業者から国会議員に渡る口利き料・実質的なワイロである献金は政治と社会を歪めているひとつであることは明らかなのであらためて考えさせられました。

 資源ごみ盗難は資源ごみの収集日に指定場所に出した古新聞を民間業者が持ち去る問題です。古紙が中国に高く売れることを反映した持ち去りの多発をリポートしたものです。このなかで持ち去る業者のいい分が紹介されました「役所がやると人件費や費用がかかる、まかせれば自分たちがやる」というものです。これにたいして役所の答えは「業者は高く売れるときはやるが儲からないと撤退する、役所は安定的に実施できる」がその趣旨でした。
 これは今、政府がすすめる『郵政民営化』へ現場からのひとつの有力な証言で業者は利益第一、儲からなければやらないことははっきりしています。私の体験でも古紙の価格が低迷したときには、回収業者も引き取りを拒んだほどです。「民営化」すればうまくいくなどということはありえないことでしょう。
 以上は仕事机からテレビを見ての感想二つです。



2月4日

 江戸時代末期、老中水野忠邦が行った「天保の改革」は結局失敗に終わり、一揆が激増し、それが幕藩体制崩壊のひとつの要因になったことは教科書にも載っていました。『お上』の「改革」は最終的負担を必ず庶民に負いかぶせるというのがパターンです。

「小泉構造改革」もそう。景気を回復させる決め手はGDPの6割をしめる個人消費を伸ばす事。これは政府も認めている。しかし現実には勤労者所得が減り、さらに負担増も追ってくる政治を進めている。これでは庶民の生活はますます疲弊し消費はさらに冷え込む可能性はきわめて大きい。

 昨日、衆院の予算委員会の質疑をテレビで見ていたら共産党の志位委員長の質問に小泉さんも竹中さんも「これからは良くなる」と言う意味の答えを繰り返していたが、明確な根拠はなく「神風が吹いて日本は必ず勝つ」式の『信念』のように聞こえました。



2月1日

 外出した帰りに行きつけのラーメン屋に寄ったところ、隣で紹興酒を飲んでいた男性が話しかけてきた。76歳で、会津若松の生まれだという、郷土の自慢をするのはこういう場所ではよくあることなので適当に相槌をうっていると「あんた私より年上でしょう」と言った。どうしてそう思うのですかと聞くと「あんた全身から苦労の結果がにじみでている」というのである。私は2日まえに62歳になったばかりなのだが、76歳の男性に「年上」と思われた経験はないので少し驚きました。


1月31日

 金丸信(1996年死去)という防衛庁長官も務めた自民党の政治家は「思いやり予算」という『名言』 を残した。
 在日米軍に負担義務のない経費をふるまい、それを「思いやり」と称し、対米従属をあからさまにした大判振る舞いである。この場合の「思いやり」という言葉は漫画には格好の材料だが、逆にその言葉自体が雄弁で誇張が追いつかない感じもする。この題材で本日一作描きました。

 2005年の1月も今日で終わり。昨日の1月30日は私の62歳の誕生日。メールが2通入りました。ありがとうございます。この世に生まれた記念日なので鯖の塩焼きで一杯飲みました。



1月26日

 午後1時半から4時まで上野の美術館内で開かれるクロッキーに参加。
 以前、空腹でお腹がグーグーと鳴り、困った経験があります。30人ほどがモデルを前に熱心に描いているので、聴こえるのは紙の上を走る鉛筆の音だけです。私のお腹の音は気持ちのよくない雑音だったと思うので、用心のためその後はコンビニでお茶とアンパンを買って行きます。しかし今回はお腹の虫も静かでした。



1月24日

 22日は日本共産党文化後援会の街頭演説があり、東京のJR阿佐ヶ谷駅前での宣伝活動に参加し、7分間、私もマイクを握りました。23日は東京渋谷区内で6月に行われる都議選の「はげます集い」があり、「日本国憲法前文」の朗読をしました。



1月20日

 知り合いの漫画家3人から年末、年始にいただいた食べ物が3品ありました。
 北海道の昆布、千葉のレンコン、埼玉の名人による梅干です。

 昆布をふんだんに使っただし汁に酢水でつけたあとの厚切りレンコンと大根をなべにいれておでん風に炊き、焼酎のお湯割りを飲みながらのひとときは楽しいものでした。梅干は焼酎の中には入れないで小皿の上に載せはしでつつきながらいただくというのが、私の流儀。この梅干は大粒で梅の香りも生きています。昆布もやわらかく煮てもちろん貴重な一品とします。食べる場所はいつもながら、仕事机の上ですが。この3品を口にし、目をとじると自然の風情が浮かび、しばし豊かな気持ちになれました。


1月18日

昨日、第35回「シャリバリ展」を見に行きました。

ここ数年は、出品者の個性的な作品で光彩はあるものの風刺性が減少し私にはさびしい感じでした。しかし今年は横田吉昭さん、オダシゲさんの風刺作品に出会い感激しました。横田さんは繊細な細工の小泉紙人形を会場に吊るし、政権が進める靖国・自衛隊と郵政の危うい実態を感じさせています。戦車を題材にした他の作品も面白いものです。

オダシゲさんの作品のひとつは、派兵された若き自衛隊員が戦場で息絶える寸前に携帯電話で「かあさん、オレオレ」と最後のあいさつを送っているものです。日本の「携帯文化」や「オレオレ詐欺」の日常風景の向こうに確実に迫っているもうひとつの「現実」を見せています。(シャリバリ展は東京銀座の地球堂画廊<03−3572−4811>で22日土曜まで)



1月8日

 図書館に本を返しに行くと、一階のロビーには小学生の習字が展示され「希望の春」という作品が何点かありました。
 これを見ているともう30年以上前の私の青春時代に好まれた「夜明け」という言葉が「希望」という言葉に重なってきます。当時私たちは「夜明け」に「新しい世の中の到来」という思いを託し、この言葉から元気をもらっていたのです。新しい世の中のイメージとは私の場合「コツコツまじめに働いている人々が安心し、自由に暮らせる世の中」というものでした。

 今、現実の社会は「小泉構造改革」で弱肉強食がますます進み「夜明け」どころか闇が広がった感じもします。しかし選挙で有権者がこの政治を根本的にかえる政党選択をすれば政治の方向は変わり、『夜明け』と呼ぶかどうかは別にしても国民の利益にそった政治の実現の可能性は30年前より叡智が蓄積された分むしろ大きくなっていると思います。

 さて、この書を書いた子供たちは『希望』にどのような思いを託したのでしょうか。子供たちが本当に『希望』が持てる環境こそ、私たちが望んだ「夜明け」のイメージの一部でもあったのです。



1月3日

 お正月に一人でお酒をのんでいると「お酒とたばこ」の思い出が浮かんできました。「エッセイ」に書きました。



1月1日

 おめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 知り合いの漫画家が「読売国際漫画コンクール」で選考委員特別賞を貰ったと聞いたので駅に読売新聞を買いに行きました。受賞した作品は「名目は復興支援」と題し、猿回しの猿が切れた電線をつなぐために活躍しているアイデアで、明るく淡い色彩とともに支援に光を添える作品でした。

 審査員の一人、はらたいら氏が総評のなかで「一コマ漫画がすたれてしまうことはないと信じています。何といっても漫画の基本、原点ですし、説明も文章もいらない。たった一枚の絵で世界に笑いが通用するのです」と書いていました。願望として私も同感です。            

 そのためにどうしたらよいかという方策を考えるのが今一番の課題ではないかと思っています。「読売国際漫画コンクール」もそのひとつであることはたしかですが、意欲ある若い人々が活躍できるさらに日常化したヒトコマ漫画振興のための発表の場が必要でしょう。ヒトコマ漫画の隆衰は発展史からみても新聞・雑誌などの「発表の場」の多少に深く影響されています。

 同時に発表の場がないからヒトコマ漫画は育たないと考えるのでは描く側は消極的で受身にすぎます。描く側はまず「作品で主張」の積極性で発表の場を広げる意欲が不可欠だと思います。作品を描くという主体的な努力でヒトコマ漫画のあたらしい道を切り開く、私も描く側の一人なので新年にあたりあらためてそのことを胸に刻みます。

 読売新聞の元旦号を『読売国際漫画大賞』をみるために買ったので社説も読みました。「『脱戦後』国家戦略を構築せよ」と題するその内容のひとつは日本がアメリカの軍事戦略に呼応しアメリカと共同しての軍事対応を考える必要がありそれに異を唱える「軍事アレルギー感覚と一線を画す時である」というものでした。これにはあらためて驚きました。


 読売社説には国連憲章に基づく平和解決などは眼中になくむしろこの種の考えを持つ者を「守旧思考」などと言って批判しています。詳しくは別にゆずるとしても、私にはこの読売の思考こそ古い「バーバリズム(野蛮、蛮行)のすすめ」にきこえます。

 『軍事』対応から『平和』的手段で問題を解決する道はいくら読売社説が批判しても国民の支持を得て歴史の王道となると思います。